2003.5.21



ここに生活する人の全てに最初があっても
その頃、何を考えていたなんて覚えている人は滅多にいない

一部の天才(奇才?)以外の
ふつーの赤ちゃんはきっとなんにも考えてなかったから
何を考えていたかなんて覚えていない・・・否
思い出すべきそのものがないように思う

赤ちゃんを見ていると刹那主義というか
時間の流れを感じさせない
多分、何も考えずに目の前のことに一生懸命だからだと思う

赤ちゃんが成長しないで
大人になって何かを予期し”ためる”事を覚えなかったら
この世は随分、違う様相になるに違いない

でも大人がみんな、こんな無垢な目をしていたら
きっと突然変異でつまらなくなるやつが現れて、無垢な目連中を騙し始めて
無垢な目連中もそういう目に合わされてばかりいたら学習しちゃって・・・

なんだか今とあまり変わらない


昨日、娘が初寝返りうちました
赤ちゃんの成長は目に見えて凄く早くて驚きの連続で
この成長のペースを90歳まで続けられたらどうなるだろうか?
ふと考えてみる

もしや、全人類が幸せになる方法を思いつき、実行するかもしれん

はたまた、世代間のギャップは更に広がって、理解を超えすぎて断絶するかもしれん

でも基本的に休息のないところに喜びや創造があるわきゃあない


娘は日に日に成長しております、多分、無自覚に(^o^)
親はそれに一喜一憂し・・・いつか女子高校生になることを思うと
今の一秒一瞬がとても貴重に思えてなりません


2003.5.7



今回の照屋政雄、仲本興次、キジムナーグンダツアーも
山あり谷あり峠あり・・・・谷あり谷あり崖あり・・・(^o^)

ミスター沖縄両名、そしてマネ(ダメ?)ージャー、バンドメンバー
と共に過ごした数日間は濃密でいっぱいいっぱいもらってしまいました
心に刻まれるお土産はいくらあっても荷物にならないです
(・・・傷を除いては(^o^))

僕もまたまたパワーアップします

そろそろ沖縄行きの飛行機が羽田を飛び立った頃です
現在15時26分

もうすぐそこに夏が来ています


2003.4.20


撮影KAKOさんのだんな様

宮地楽器体感DAY、参加してくれた皆様
大変ありがとうございました
おかげさまで、とても楽しい時を過ごすことができました

それとひとつ、最後カチャーシーは立ってやったほうがいいですね
唄っている途中、ふと思いました・・・反省


2003.4.18

今日もこれまた、いい天気ですね〜

昨日は湘南台のカルチャースクールへ行ってきました
なにはともあれ、出会いは良いもんです

宮地関係の方も、湘南台関係の方も
どちらでもない方も・・・(^o^)
掲示板など、利用して、三線仲間&音楽仲間増やしてくださいね
イベント告知もがんがんやってください

僕は政雄先生の上京にあわせて
支度&調整でてんてこまいなのですが
天気が良いから、気分も良いです

今週末から
しばらくお店は空けます
連絡はPHSのほうにお願いします



2003.4.15
桜吹雪の図






どなたか、yanty、三線 クラブ 同好会(・・・って、ちーこさん言ってました?)共演写真もお持ちでしたらください。


2003.4.7

今月号ウルマ(沖縄情報誌)
照屋政雄が表紙です

思えば数年前、この人面白いなあと
ふと”弟子にしてください”なんて言っちゃたりして

そっから、いろんなことあり過ぎ・・
渋谷はテレビ来るみたい

付いて行く事に必死で
目の前の課題を追ってくうちに
見ずしらずの世界にいるのが楽しい

沖縄ブーム、三線ブーム終わって然り
芸事で食うのは針のムシロよ・・・ただ、ただ、現状に感謝!
明日は明日の風が吹く、あーこりゃこりゃ♪


2003.4.2

過労死は嫌だ
怨まれて刺されるの嫌だ
訳もわからず病魔にやられるのは嫌だ
訳がわかってもやられるの嫌だ
砂漠で見知らぬ人に銃で撃たれるのは嫌だ
車にひき殺されるの嫌、痛そう
自殺の状況に追い込まれるのは嫌だ
追い込むのも嫌
腹上死は嫌・・・かな?
でも別の彼女と一緒だったら、悲しますなぁ
返り討ちにあうのは嫌だ
返り討ちが返り討ちされたらみっともない
あだ討ちされるのも嫌
もっともあだ討ちのあだ討ちにならぬよう気をつける

だからぁ

こ・ろ・さ・れ・る・の・は・い・や・な・ん・だ・よ
さて、これよけて死ねるだろうか?

レスリー・チャンが飛び降り自殺

愛するものが死ぬのを見るのはキツイ・・・だろうなあ



2003.3.31

3/30 我が家(三線工房)で花見!
午前10時より、三竹(竹製の三板)作りワークショップ
参加費1,000円(クラブ生割引きあり)
オリジナル三板を作ってみよう!

午後1時より夕方4時まで庭の桜見宴会・・・飲めや唄えの饗宴!
参加費・・・材料費割り勘、持込大歓迎!!
*************************************************

・・・という企画(?)を昨日、我が家でやったわけです

三竹づくり、食事の用意、
全てにおいて参加者におんぶにだっこでして
その節はお手伝いどうもありがとうございました

でも、このペースなら、いつでもできますので
また、こんな気楽なお遊び会やりましょね

○沢さん、三竹、ぜひ完成させましょう!
竹楽器についても、いくつかアイデアが出てきたので
実現させてみたいです

桜はちらほらしか咲いてなかったけど
途中、うぐいす(?)めじろ(?)も飛んできて
三線鳴らして・・・春っていいですね


2003.3.21


大方の予想どうり戦争は始まってしまいました


泣いてる人がいることでしょう

眠れぬ人がいることでしょう

怒っている人がいることでしょう

苦しんでいる人がいることでしょう

恐れおののく人がいることでしょう

怨んでいる人がいることでしょう

数多くの命を落とす人がいることでしょう


そんな中に微笑むひとはいるだろうか?
唄う人はいるだろうか?
悲しくもないのに涙、感動の涙を落とす人がいるだろうか?

みんな気づいているのに
未だになくならない戦争は
この?が確信に変わり
この世に広がるとき、きっと別の様相を見せる

いま、起こっている出来事に対して僕ができることは
この生活を続けることです



2003.3.12

宮地楽器へ行く途中、東海道線のなか
冷たい空気にさらされ、便意を催す・・・

ゆったりと大きな波が打ち寄せる
そして次第に波は早く、力強く叩く、叩く、叩く・・・

だましだましの深呼吸を続けたが
とうとう我慢しきれなくなり
わき目もふらずに戸塚駅にて電車を降りる

トイレは清掃中
作業着を着たおばちゃんたちが和気あいあいと盛り上がる
入り口にある立て札には”しばらくお待ちください”の文字

どのくらいの気持ちとやる気があれば、
この立て札の例外となりえるのだろうか・・・?

ふと横を見ると
車椅子、赤ちゃんのオムツを代えるマークの付いた
大きな銀色のドアがある
赤い光の点灯した横に”手をかざしてください”の文字
すかさず手をかざす

ゆっくりと開きはじめるドアに安らぎと
途方もない時間を感じる・・・



・・・・・・・・・!


ことは無事に終了し電車のホームへ戻ろうとしたとき
とても小さな胸騒ぎを覚える

あれ、荷物こんなに少なかったっけ?

次の瞬間、身体中の血の気がうせる音を聞く・・・



三線がない



走り出したら止まらない、
必死に駅員を探す、探す、探す・・・いない!!

電車の網棚に載った三線ケースの図が
時間と共に鮮明になる

東海道線のホームに止まっていた電車に駆け込む
目指すは運転席、そして叩く、叩く、叩く窓ガラス

やっと見つけたJRの制服
涙目になりながら事情を話す

とってもやさしく対応してくれたその方が
僕の頼れる唯一の方法、この場合、祈願半ばにある己の仏か!

無線機(らしきもの)で問い合わせてもらい
あとはひたすら、折り返しの連絡を待つのみ

かみー(行方不明の三線の愛称)との楽しかった日々が
走馬灯のように繰り返される

思えば僕と三線の出会いは恵まれている
かみーはその代表だった

かみーは政雄先生の愛器だった
同じ桑の木から取れた3つ子のひとつで
もう1本は政雄先生の現愛器
もう1本はぬいをせずに、照屋三味線店においてある

桑はあまり高額な木ではないけれども
軽いのと、乾燥、それに照屋政雄削りだし・・・ETC
そんじょそこらのくるちにも負けない

三線はものだから、いつか壊れる
そしたらまた作ればいいんだよ・・・

政雄先生が言ってた言葉を
僕は鵜呑みにしようとした
壊れる想像のなかで、外へ連れていけないから

譲ってもらうときに竿に照屋政雄の文字の上に僕の名前を書いたんだけど
その字が気に入らなくて、何度書き直そうかと眠れぬ夜をすごしたこと・・・

ライブ最中にぶつけて、うるしが取れてしまって
でもそのとき僕は事の大きさに無自覚で
帰ってからくいとうたぐちの割れているのを発見したとき
直しながらひたすらかみーに謝ったこと・・・

そして共に越えた数々のステージ、稽古、、、仲間の顔・・・

先ほどの駅員さんに経過報告を聞く
”まだ見つからないけれども、東京駅にてスタッフを用意しました
東京駅に着いたら、○番線、駅長室に行ってください”

僕はありがとうございましたと一言告げると
シートに身を投げ、必死に孤独地獄と戦う

東京駅につくやいなや、○番線駅長室を目指し、ひたすら走る
到着するやいなや、駅員に声をかける、同時にケースの姿を部屋に探す



ない・・・・




”まだ、その電車から荷物がきていないのでしばらく待ってください”
と駅員が話す横で僕の視線はうつろに外を漂う

すると遠方にケースらしきものを持った一人の清掃員の姿が!
僕は思わず駆け出す・・・
後ろで”待ってください!!”の声
”清掃員はそのまま、ものを渡すことはありません”

清掃員の手にある三線ケースは少し小さく見えた
いつも重くて、大きくて大変なのになあ・・・

駅員にお礼を言って、外に出る



じゃあ、一緒に宮地楽器に行こうか




2003.3.6

一連のイベントラッシュがひと段落ついて
昨日はアロハイサイ打ち上げまで
丸1日寝てました・・・おかげで今日は復活

また今日から
人前演奏でできた課題をおっかけ中
時間は待ってくれまへん
気の抜ける日はいつのことやら
日々大切にしたいものです

気付いたら、前回の日記より早1ヶ月
報告が遅れましたが
美藍の手術はしませんでした
心配してくださった皆様、本当にありがとうございます
未熟な親ですので、今後ともご指導の程よろしくお願いします


美藍初節句の図(冠製作・・・千田ひろみ)

2003.2.9

ひとつ悩み事
お産は病気じゃないってことで僕らは所産院を選び
結果的には病院で美藍は産まれたんだけど
最近その所産院である手術が必要だって診断されて
そこまでははらはらどきどき、僕も善は急げだったんだけど
昨日、その手術をお願いするお医者様とは
別のお医者様に話したところ”必要ない!”との返事
ちなみにこの手術をしてくれる病院は日本に3件!!

?????

まるきり立場が逆じゃないですか?
いま、朝5時45分・・・・寝れまへん

舌があごとくっついてて、鼻呼吸がうまくできない人いますか?
これってなんなんだ?

もちろん、やる”必要”のないものをやる気は全くありません
この時、僕の発する”必要”という言葉の弱弱しさよ!!!

もう、ぐーらぐらに揺れて

結局最後は好みなわけ???


2003.2.7

昨日のことなんだけど
出先で一本の電話が・・・

からくいの修理依頼
話をしているうちに、それがキ○ロのスタッフだということが判明
ツアーリハーサル最中にからくいが折れたらしい

真夜中でよければお店にきてください・・・そして電話を切る

頭内BGMに、な〜がいあいだ〜・・・、流れはじめる
キ○ロかい・・・ありゃーキ○ロ・・・
三線の恐るべし縁を感じつつ
Hey3でまっちゃんに突っ込まれるお二人の手元には
僕の修理した三線がある
・・・な〜んていう素敵な想像をふくらませつつ、にやにやしてた(多分)

すると数分後、また同じ方から電話あり
”あのー、なんとかなりましたんで・・・”

(>_<)

縁て不思議ですね
出会いは宝物です



2003.1.28

宮地楽器のレッスンを終えて丁度
中田ぱぱ(茅ケ崎三線クラブ優等生)より電話あり
”まだ、やってるよ!早くきなよ”

急いで駈けこむ”どんと院まつり”イン横浜サムズアップ

ステージも客席も知った顔がいっぱいいて
いいなあなんて見てて

ほーてんさん(三線屋掲示板参照)の一言で
僕もちょっとステージ上げてもらっちゃって
上がった途端、悩む間もなく
後ろにいるミュージシャン方々に挨拶はじめちゃって
歌詞忘れてるし・・・やべ(>_<)

なにがなとーら、むるわからん

ステージ後
”娘ができたんです・・・”って言ったら”おめでとう”
ってみんなが言ってくれて
”娘ができたから、がんばって働かなくちゃいけないんです”
って言ったら、ケニー(井上)さん(サンディー&ザ、サンセッツ)がぽんと肩に手を置いて
”ちばらやーさい(がんばりなさい)”って

内容を知らない人はかっこの注釈だけで全てを理解できないですね
言いたい事は”あったかい場所がある”ってことです(^O^)

どんとさんの写真に手を合わせて
ありがとうしてきました

最近訳わからん事がぱたぱたと続いて
正直なとこ少しお疲れムードだったけど

やっぱり音楽は良い!
音楽を愛する人に悪い人はいない

しっかり再確認(^o^)



2003.1.13

助産所で出産するということ、自然であるということ、薬をつかわないということ・・・

僕ら夫婦は助産所で自然分娩をするというスタイルを選択しました
助産所を選んだ理由はお産は病気じゃないっていうこと
それに華子の通っていた病院の雰囲気や、看護婦の態度もその気持ちに拍車をかけました
華子の診察についていった僕をつかまえて
”あーらまあ熱心ねえ”と言った、おばさん看護婦のにやけ顔は忘れられないです
それから2度と華子の診察についていく事はなかったです

病気じゃないんだから、病院へは行かなくて良い!
それが唯一絶対の理由!

助産所の雰囲気はとても暖かくて穏やかで
助産婦さんはとても優しくて、言う事なしで
事前に出産教室みたいなのがあって、僕も随分心構えができて
そうしているうちにとうとう陣痛が来たんだけど、ここからが長い!

医学の歴史って、きっと人から痛みを取り去るために進歩したんだって確信しました
陣痛に苦しむ華子の背中をさすることが僕のできる協力のすべて
それに関しては助産婦さんでも同じでした
この時は母犬が子犬の傷をなめる姿を想像しました
薬のなかった時代、痛みを癒すその姿はなんとも切なく、心もとなかったんだろうなあって

1日、2日、3日経ち・・
さすったら、楽になるって華子が言ったから
僕もそれしかできないからがんばります
気付いたら不精ひげ、下向きゃ涙と鼻水がぶらさがっちゃう
ひたすら、さするさするさする・・・

手前みそですが、出産の準備に華子は努力していました
毎日3時間の散歩に加え、スクワットからストレッチ・・
出産に良いと言われたことを、きちんとこなしていました

ただ、本番になってみると初産のため産道がひらくのに
えらく時間がかかったし、もう少しってところで
陣痛が弱まってしまうし・・・
WHY?
神にも祈る気持ちっていうのはまさにこれです

27日、朝5時に入院して
1日目の夜、もうすぐだよ!
2日目の夜、今晩産まれるよ!
3日目の夜、今晩こそ!・・・
そして4日目の朝を迎えた時、僕は眠ってしまっていて
薄らぼけた頭と視線で見る華子のおなかは大きくて
”こりゃダメだ(^^ゞ・・・”
朝の光が妙に白かったのを覚えています

この時、華子はもう限界でした
痛みに耐えられる気力は残ってなかった
2日目から、子宮は後方破水していて
念の為、提携病院で抗生剤を打ってもらっていたんだけど
華子を車に乗せて病院を出るたびに
”ここにいたら、こんなに苦しくないのかなあ・・・”って思いました

四日目、12月30日の昼頃
神戸海星病院に、華子と助産婦さん二人を車に乗せて到着
診察の結果、人工破水してもらいました
そして、医師の説明・・・良く覚えてない
でも、お願いすることにしました

いきんで、叫んで、いきんで、叫んで、叫んで、叫んで・・

どの位時間が経ったろうか・・
もう病院に任せたのだから、助産婦さんふたりも帰らなければいけないし・・
でも、華子も僕も必死に頼みました
”お願いですから、ここにいてください”って
病院に来たから楽になるってことはなくて
痛みの渦中の華子、そして僕
あまり面識のない病院と医師と看護婦さんに任せられてしまうほど
体力は残ってなかったです

助産婦さんに残ってもらうって、めちゃめちゃな我侭を言って
本当に感謝しなければいけないのはそれが聞いてもらえたって事で
助産婦さんと看護婦さんが分娩台の両脇で協力しつつ
ようやく子宮口が開いたって聞いて
(^O^)(^O^)(^O^)も束の間、陣痛がまた弱くなって
オーマイガッ!!!
とうとう陣痛促進剤の登場

華子が後で体に異物が浸入するのがわかったって言ってた
僕も点滴の管を指差して、いま薬はこの辺ですって看護婦さんに
言われたのを思いだして、妙にその言葉に納得

その数時間後、数分後??
おぎゃーって出てきました
紫色でちっちゃくて、でもビデオを見たときとは違って全然恐くなくて
へその緒は思った以上に固い

産まれた瞬間、僕は笑いと涙が爆発しました
後でてるりんの自伝を読んでいたら、神様は笑いが好きなんだって書いてあって
だから良かったって思いました

この助産所に来た時に
赤ちゃんに任せておけば、母子ともに1番良い方法で出てきてくれるって 教えてもらいました
そして華子は88時間の陣痛を乗り越えました

促進剤を入れる前、赤ちゃんの心音が数秒弱まりました
母子共に健康健全でいられるってことがこんなに嬉しいことなんだって
奇跡に近い気持ちでしみじみしみじみ噛み締めます

自然食ブームしかり、自然派志向しかり、
でも本当に恐いものが何なのか、今の僕らに何が足りないのか
陣痛が始まり日々刻々と変る状況のなかで、新しい事態を受け入れ
それに向かっていくことで、僕は少し勉強しました

自然はハードボイルドで、そして途方も無く美しい
美藍と華子を応援し救ってくれた全ての人と要因に感謝します


2003.1.11

  求む!
門松などに使った竹
本来は焼くようですが
三線作りにはかかせないのが竹でして
不用になったものをください

直系が大きいもの(15センチを越えるもの)
に関しては、特によろしくお願いします

茅ケ崎へ戻りました
我が家はひとりぼっちで寂しいです




2003.1.8

たくさんの”おめでとう”をいただいちゃって
本当にありがとうございます
産まれる時も、たくさんの人に助けられて
産まれてからもたくさんの人の祝福を受けて
僕らはとっても幸せです

美藍も生まれて、10日に満たないのですが
たくさんの人にだっこされながら、すくすく成長しています
機会があればぜひだっこしてやってください
だっこのし方は僕が教えてあげます

今までの僕の人生
おっぱいは触りたいものの一つだったんだけど
それが”欲しいもの”のひとつになるなんて思ってもみなかった
人生、視点が変われば、何を欲するかなんてわかったもんじゃない
おっぱいを欲しがる美藍を腕に抱いた僕のやるせなさは
この世の不条理を全て跳ね除けます
人には人それぞれの役割があります
僕とおっぱいは触り触られるだけの宿命なのです
残りの人生もそれを続けます

近日中に茅ヶ崎へ帰ります
さーて、がんばるぞい!




2003.元旦

新年明けましておめでとうございます
我が家も新メンバーが増え
新たな出発を迎えています

2002.12.30 PM4:41
神戸市灘区、海星病院にて
3076グラムの元気な女の子が誕生しました
 
名前は発音から決めて
それに風景を足してみました

どんな言語圏の人間でも親しみを込めて言える音をテーマに

ミーア(mi:a)

をまず決めました

ma マ っていう音は人間が最初に口にする音で
だから、子どもにとって不可欠な
母をあらわす言葉にはどの言語でも”マ”の音がはいる
って話を聞いたことがあって、(ちなみに”はは”は?)
でも、やじま ま〇△□ はまが続いてくどいかなって思って
それに一番近そうな発音を採用!

口に出して発音してみて
親しみはこもる?

それから僕も華子も大好きな”海”の風景を付け加えて
(茅ヶ崎から神戸に行き、最後は海星病院で産まれるという海尽くし!)

美藍(みいあ)

リュックベッソン監督の”グランブルー Grate blue(英語)”のイメージに加え
沖縄の離島で潜って見た青の世界(三線との出会いもここ)
野宿して見た青い月の夜のエッセンスを全てつめこみました

さて、ここで、今回のヒーロー
華子と美藍の登場です













いま二人は病院で体調を整えています
僕は華子の実家で二人から離れこれを書いています
親が子をかわいく思うのは当たり前のことと思いますが
写真を見るたびに胸がきゅーっとします
かわいいとか愛しいとか通りこして、せつないです

ここで華子よりメッセージ

無事 出産することができました
たくさんの人に助けられ、愛され、誕生した命です

矢島 美藍  です

ありがとう、そして、今後ともよろしくお願いします



本年もよろしくお願いします



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